
2026年8月6日。
広島には、戦争で家族を失ったイラン人の遺族が訪れていた。
その受け入れに関わった一人が、一般社団法人オミード代表の津谷静子さんだ。
津谷さんは、20年以上にわたりイランとの医療支援や平和・文化交流を続けてきた。これまでにも、イラン・イラク戦争で化学兵器の被害を受けた人々を広島に迎えてきた。
それでも今回の受け入れについて、津谷さんは「すごく悩んだ」と振り返る。
「どう接したらいいのか分からなかった」
今回広島を訪れたのは、数か月前に子どもを失った家族だった。
津谷さんは当時の心境について、こう話した。
「数ヶ月前に自分の子供が『行きます』と言って帰ってこなかった。いわゆるショック状態じゃないかなと思うん2026年8月6日。
広島には、戦争で家族を失ったイラン人の遺族が訪れていた。その受け入れに関わった一人が、一般社団法人オミード代表の津谷静子さんだ。
津谷さんは、20年以上にわたりイランとの医療支援や平和・文化交流を続けてきた。これまでにも、イラン・イラク戦争で化学兵器の被害を受けた人々を広島に迎えてきた。
それでも今回の受け入れについて、津谷さんは「すごく悩んだ」と振り返る。
ですよね。どう接したらいいのかなと思いました。」
長年、戦争被害者と向き合ってきた人であっても、深い悲しみの中にいる遺族をどう迎えるべきか、簡単に答えを出せるわけではなかった。
むしろ、交流を続けてきたからこそ、その難しさを知っていたのかもしれない。
津谷さんは、これまで広島に迎えてきた人々の中には、イラン・イラク戦争で毒ガス被害を受け、肺に深刻な障害を抱えている人もいたと話す。
「今日来られた方も70%で、肺が30%しかない方なんですよ。」
見た目だけでは分からない傷を抱えながら生きている人たちがいる。
そして、その家族もまた、長い時間をかけてその傷と向き合っている。
広島には「乗り越えてきた心」がある
津谷さんは、今回の受け入れに込めた思いについて、こう語った。
「乗り越えてきたね、広島のその、ま、心というものがね、多分2人に送ることができれば、やっぱりこのミッションの目的の1つを果たせたのかなっていうのは今感じています。」
広島は、決して悲しみを忘れた町ではない。
被爆の記憶を残し、伝えながら、それでも日常を取り戻し、次の世代へと歩みをつないできた。
津谷さんが今回、イランから訪れた人々に届けたかったのは、そうした「広島の心」だった。
悲しみを消すことでも、過去を忘れることでもない。
傷を抱えたままでも、少しずつ前を向くことはできる。
そんな姿を、広島という場所そのものを通して感じてもらいたかったのだという。
交流の中で戻ってきた笑顔
津谷さんの言葉の中で、特に印象に残ったのが「笑顔」についての話だった。
「でも流している中で、笑顔が出て、人ってやっぱり変わるんだなと感じます。」
深い悲しみの中にいる人に対して、周囲ができることは限られている。
かける言葉が見つからないこともある。
何かをしてあげたいと思っても、それが正しいのか分からないこともある。
それでも、同じ時間を過ごし、話し、食事をし、広島の町を歩く。
その積み重ねの中で、ふと笑顔が生まれる瞬間がある。
津谷さんは、21年間の交流を通して、そうした人の変化を何度も見てきた。
交流に参加した人がその後、体調を崩したり、亡くなったりしたこともあったという。
それでも、家族のもとを訪れると、「ありがとう」と言われることがあった。
「本当に広島が持つパワーというのがあるんだなと感じてきました。」
「乗り越える」とは、忘れることではない
津谷さんの話を聞いていると、「乗り越える」という言葉が何度も出てくる。
ただ、その意味は決して、被害の事実を忘れることではない。
津谷さん自身、こう話している。
「なぜ破壊されたかは明確にしていかなきゃいけないとは思っています。」
何が起きたのか。
なぜ人々が傷ついたのか。
その事実を曖昧にしてはいけない。
一方で、被害を受けた人が、ずっと「やられた」という思いだけを抱えて生き続けることもまた苦しい。
「被害に遭った人が恨んだまま『やられた』と思って生きていくわけにはいかない。乗り越えていかなきゃいけない。それが民間の交流としての役割だと思います。」
この言葉には、21年間交流を続けてきた人だからこその実感がにじむ。
政治でも外交でもなく、民間だからこそできること。
それは、相手の痛みを消すことではなく、同じ時間を過ごしながら、少しずつ前を向くきっかけをつくることなのかもしれない。
21年間続けてきたからこそ見えるもの
今回の受け入れについて、津谷さんは最後にこう話した。
「最初は『大丈夫なのかな』っていう不安の心でいっぱいでしたけど、今は迎えてよかったなって思っております。」
この言葉は、とても率直だった。
「平和交流」という言葉だけを聞けば、きれいな活動に見えるかもしれない。
けれど実際には、深く傷ついた人と向き合う怖さがあり、何が正解か分からない中で人を迎える葛藤がある。
それでも会う。
同じ場所で過ごす。
話す。
その積み重ねによってしか生まれないものがある。
津谷さんの話を聞いて、民間交流とは、理念を掲げることではなく、相手の痛みの前から逃げずに、関係を続けることなのだと感じた。
映画を通じて、遠くの誰かを知る
Shireen Boxもまた、そうした交流の延長線上にある。
イラン映画に描かれているのは、戦争や社会問題だけではない。
家族の日常。
母親の祈り。
子どもたちの視点。
笑い。
地域の暮らし。
誰かを想う気持ち。
ニュースで見る「イラン」という国名の向こう側にも、一人ひとりの生活がある。
実際に人と会うことと、映画を見ることは、もちろん同じではない。
けれど、知らなかった誰かの暮らしを想像するという意味では、どこかつながっている。
人を迎えることも、映画を届けることも。
その根にあるのは、遠くにいる誰かを「知らない人」のままにしないことなのだと思う。
広島とイランの交流は、これからも続いていく。
その長い時間の中で、また誰かの表情が少しやわらぐ瞬間が生まれるのかもしれない。